原子の構造を明らかにした、歴史的な実験であるラザフォードの実験(ガイガー・マースデンの実験)について解説します。
ラザフォードの実験により原子核の存在が明らかとなりました。ラザフォードの実験においては、以前説明した散乱とラザフォード散乱断面積の公式が重要な役割を果たします。
ラザフォードの実験について説明する前に、$20$ 世紀初頭に考えられていた原子の構造と、それから予測される散乱角について見ていきます。
トムソンの原子モデルとは?
原子の存在が広く受け入れられるようになった$20$ 世紀初等において、物理学者達の間では原子の内部構造が議論されていました。
ところで、負の電荷を持つ電子の存在はミリカンの実験により明らかとなっていました。一方、原子自体は中性のため、電子による負電荷を打ち消すだけの正電荷も存在しなければなりません。
ここで問題となるのは、原子内での正電荷と負電荷の分布です。常識的に考えれば正電荷同士は反発し合うので、これらの粒子は原子内に均一に分布しているはずです。これを図示するとこのようになります。
$1904$ 年の時点で陽子の存在はまだ知られていないため、原子内に正電荷が等分布していると考えられていました。トムソンは、正電荷の”雲”の中を電子が運動しているとするモデルを発表しました。上図のような原子モデルのことをトムソンの原子モデルと呼びます。
現代の我々はトムソンの原子モデルが誤りであることを知っていますが、当時はこのモデルが広く受け入れられていました。
トムソンの原子モデルにおける散乱角の計算
では、トムソンの原子モデルが正しいと仮定して、電荷同士の散乱について考えてみましょう。これを考えるとき、電子の質量が非常に小さいことを考慮して、正電荷のみで原子が構成されていると近似的に考えます。
電荷同士の散乱のため、ラザフォードの散乱断面積の公式を利用しても良いですが、ここではラフに散乱角を見積もることにします。
ここで、入射粒子として電荷が $2e$ の $\A$ 粒子(要するに $\RM{He}$ の原子核)を用います。$\A$ 粒子が受ける力が最大となるのは、原子の輪郭すれすれの位置に入射したときです。したがって、力の最大値は
\begin{split}
F_{max}=k\ff{Q\cdot 2e}{a^2}
\end{split}
と表せます。$\A$ 粒子は水平方向から入射して来るので、何の力も受けなければ散乱角は $0$ のままです。したがって、散乱角の大きさは $\A$ 粒子が飛行中に鉛直方向に受けた運動量に比例するはずです。
以上より、散乱角 $\Theta$ は $\A$ 粒子の水平方向の運動量を $p$、鉛直方向の運動量変化を $\D p$ として次のように表せます。
\begin{split}
\tan \Theta=\ff{\D p}{p}\NEQ \Theta
\end{split}
近似的に $\A$ 粒子は原子近傍では常に $F_{max}$ の力を受けているとします。また、$\A$ 粒子が原子近傍を通過する時間は $\DL{\ff{2a}{v}}$ 程度と見積もれます。したがって、散乱角は
\begin{split}
\Theta&\NEQ \ff{\D p}{p}=\ff{F_{max}\cdot 2a/v}{mv}
\end{split}
となります。ただし、$m,v$ を $\A$ 粒子の質量、入射速度とします。
これに $F_{max}$ の具体的な式を適用して整理すると、
\begin{split}
\Theta&\NEQ \ff{4keQ}{amv^2}=\ff{2keQ}{aE}
\end{split}
となります。なお、$E$ は $\A$ 粒子の運動エネルギーを表し、$E=\DL{\ff{1}{2}mv^2}$ です。
これを元に散乱角を見積もってみましょう。今、標的原子を金原子(原子番号 $79$)とします。金原子の電荷は $Q=79e=1.3\times10^{-17}\,\RM{C}$、金原子の半径は $a=1.4\times10^{-10}\,\RM{m}$、クーロン定数は $k=9.0\times10^9\,\RM{V^2/N}$、$\A$ 粒子の運動エネルギーを $5\,\RM{MeV}=9.0\times 10^{-13}\,\RM{C}$、電荷素量は $e=1.6\times 10^{-19}\,\RM{C}$ です。これより、散乱角を、
\begin{split}
\Theta&\NEQ\ff{2\times9.0\times1.6\times1.3\times10^{-27} }{1.4\times 9.0\times 10^{-23}}\EE
&\NEQ 3\times 10^{-4}\,\RM{rad}\NEQ 0.02^{\circ}
\end{split}
と求められます。トムソンの原子モデルでは散乱角が非常に微小であることが分かります。
ラザフォードの実験
トムソンの原子モデルの正しさを検証するため、ラザフォードは図のような装置を用いて実験を行いました。
装置の中央には金箔が設置されていて、金箔の鉛直方向に $\A$ 粒子の放射線源が設置されています。線源から出た $\A$ 粒子は金箔の原子で散乱され、ある散乱角で感光版に当たります。当たった $\A$ 粒子は感光版に跡を残します。これを顕微鏡で数えることで、ある散乱角に飛び込む単位時間当たりの粒子数を把握できます。また、色々な散乱角で検出できるように、顕微鏡は円周上を動くようにしています。
さて、金箔の厚みを $0.4\,\RM{\mu m}$ 程度とすると、金原子は厚さ方向に $1000$ 個程度並ぶことになります。
入射した $\A$ 粒子はこれらの金属原子から散乱を受けながら金箔を透過していきます。したがって、個々の金原子からの散乱の累積結果が最終的な散乱角となります。
トムソンの原子モデルに基づく散乱角範囲の推定
まずは、トムソンの原子モデルが正しい場合の最終的な散乱角について見積もってみましょう。$\A$ 粒子は散乱を受けてランダムな方向に散乱されるため、確率の考え方を導入します。
例えば、$5^{\circ}$ の散乱角が観測された場合は一回当たり $0.02^{\circ}$ 散乱されるので、$750$ 回右側に散乱され、$250$ 回左側に散乱されることになります。
今、平面内で左か右に散乱される確率は $\DL{\ff{1}{2}}$ と考えられます。したがって、$5^{\circ}$ の散乱角が観測される確率は二項分布の考え方を利用して、${}_{1000}C_{750}\DL{\left( \ff{1}{2} \right)^{1000}}$ と計算できます。
なお、この二項分布での標準偏差 $\sigma=\sqrt{1000\times0.5\times0.5}\times 0.02\NEQ 0.3^{\circ}$ であるので、$3\sigma$ 区間は $\pm 1^{\circ}$ となります。つまり、入射した粒子の $99.7\%$ はこの散乱角で観測されることになります。
さらに $6\sigma$ 区間にまで広げても散乱角は $\pm 2^{\circ}$ 程度となります。この区間を外れるのは $100$ 万個の $\A$ 粒子の内、$3$ 個程度しかありません。
実験結果との矛盾
トムソンの原子モデルが正しければ、散乱角は高々数度程度となるはずです。ところが、ラザフォードらが上の散乱実験を行ったところ、$8000$ 個に $1$ 個程度の割合で $30^{\circ}$ 程度の散乱角が生じており、果ては散乱角が $90^{\circ}$ や $180^{\circ}$ となる事例すら確認しました。
これはトムソンの原子モデルからは説明のつかない事象です。なぜこのような実験結果となったのでしょうか?
ラザフォードの原子モデル
ラザフォードは様々な考察の末、散乱実験の結果の最も合理的な説明は、正電荷が原子の非常に狭い領域に集中しているモデルであるという結論に達しました。
このモデルに従い、ある散乱角にて観測される $\A$ 粒子の個数を予測することができます。詳しい計算過程は省きますが散乱角が $30^{\circ}$ であるとき、単位時間・単位面積当たりの $\A$ 粒子の個数は理論的にはラザフォード散乱断面積の公式から、$6.0\times 10^{-3}\,\RM{/cm^{2}\cdot s^2}$ となります。
一方、実験では散乱角が $30^{\circ}$ であるとき、$5.8\times 10^{-3}\,\RM{/cm^{2}\cdot s^2}$ 程度の結果となります。理論的に予想される個数と、実験結果がほぼ一致しています。
同様にして他の散乱角での理論値と実験値を比較すると、よい精度で一致することが確かめられました。
同様の実験が他の学者達により検証され、原子の非常に狭い領域に正電荷が集中しているモデルが正しいことが、次第に受け入れられるようになりました。
そして、正電荷が集中した部分は原子核と名付けられました。
さて、原子の非常に狭い領域に正電荷が集中していると考える原子のモデルのことを、ラザフォードの原子モデルと呼びます。我々が教科書でよく見る、下図のような原子モデルがラザフォードの原子モデルです。
これまでの常識とはかけ離れていますが、正電荷は原子の一点に集中して存在しているようです。これは、正電荷同士の強大な反発力をねじ伏せて無理やり束縛するような、未知の”強い力”が存在することも同時に示唆されます。
原子核の大きさの推定
ラザフォードの実験に関連して、原子核の大きさも推定できます。
まず、衝突係数 $b$ は $b=\DL{\ff{kq_1q_2}{2E\tan\ff{\Theta}{2}}}$ とできました。このとき、$\A$ 粒子が原子核に最接近するときの距離 $r_{min}$ は幾何学的な考察より、
\begin{split}
r_{min}=b\cdot\ff{\sin\ff{\Theta}{2}+1}{\cos\ff{\Theta}{2}}
\end{split}
とできます。したがって、$\DL{r_{min}=\ff{kq_1q_2}{2E}\cdot\ff{\sin\ff{\Theta}{2}+1}{\sin\ff{\Theta}{2}}}$ となります。これに金原子と $\A$ 粒子についての数値を適用すると、
\begin{split}
r_{min}&=\ff{9.0\times 3.2\times 1.3\times 10^{-27}}{2\times 9.0\times 10^{-13}}\cdot\ff{\sin15^{\circ}+1}{\sin15^{\circ}}\EE
&\NEQ 1.0\times 10^{-13}\,\RM{m}
\end{split}
と求められます。これより、原子核の半径は少なくとも原子半径の $1000$ 分の $1$ 以下であることが分かります。
なお、より精密な実験からは金の原子核の半径が約 $7.3\times 10^{-15}\,\RM{m}$ 程度であり、原子核の半径は $10000$ 分の $1$ 程度であることが分かっています。
実際の原子半径よりも大きな推定値となった理由は、$\A$ 粒子が原子核に触れられるほどの十分なエネルギーを持っていないことに原因があります。