本格的に物理学に取り組む前に、物理学の大前提について知っておきましょう。
物理学の大前提とは、力や速度、加速度等のベクトル量がベクトル分解ができるという仮説です。
仮説とは言え、ベクトル分解できることは多くの実験により確かめられているため、どんな場合でも確実に成立するものとして受け入れられています。
力や速度などがベクトル分解できるという仮説は、数学の公理に相当する大前提となります。
このように、力や速度のような物理量がベクトル分解できることは他の理論から導かれるものではなく、独立した存在です。
今回は、ベクトル分解の方法とその応用例について解説します。
ベクトルとは?
ベクトル分解について考える前に、ベクトルについて復習をしましょう。
ベクトルとは、『向きと大きさを持った量』のことです。
さて、始点$\RM{P}$から終点$\RM{Q}$までのベクトルは、$\overrightarrow{\RM{PQ}}$と表記されます。
また、ベクトルの大きさは$|\overrightarrow{\RM{PQ}}|$と表します。なお、ベクトルの大きさをノルムと呼ぶこともあります。一方、ベクトルの向きについては少々厄介です。
通常はある基準からの角度で表されますが、基準の取り方によって角度が変わってしまうため、座標を行き来する場合には注意が必要です。
ベクトルの合成
複数のベクトルを一本のベクトルに合成することができます。
例えば、図のように$\overrightarrow{\RM{PR}}$と$\overrightarrow{\RM{RQ}}$の二本のベクトルがあるとき、点$\RM{R}$で終点と始点が一致しているため、二本のベクトルは合成できて$\overrightarrow{\RM{PQ}}$の一本のベクトルに合成できます。
さらに、ベクトルは平行移動させることができます。
$\overrightarrow{\RM{RQ}}$を平行移動させて始点を$\RM{P}$に変更することができます。平行移動の結果、終点が$\RM{S}$に移動したとすると、$\RM{SRQS}$は平行四辺形になります。
ベクトルとなる物理量
ベクトル自体は数学的対象ですが、ベクトルを使って表現できる物理量が存在します。
そのため、ベクトルは物理学の世界でも重宝されるのです。ここでは、ベクトルによって表現できる物理量について見ていきます。
ベクトルとスカラー
話は前後しますが、ベクトルとスカラーについて整理しておきましょう。ベクトルは『向きと大きさを持った量』のことですが、スカラーとは『方向を持たず大きさのみで表される量』のことです。
ベクトル:向きと大きさを持った量
スカラー:方向を持たず大きさのみで表される量
物理学の世界でも、ベクトルで表されるものと、スカラーで表される物理量が存在します。
ベクトル量とスカラー量
さて、ベクトルによって表される量のことをベクトル量、一方でスカラーで表される量をスカラー量と呼びます。
ベクトル量の例として力、速度、加速度、運動量が挙げられます。スカラー量の例として質量、長さ、エネルギー、温度などが挙げられます。
ベクトル量:力・速度・加速度・運動量・角運動量
スカラー量:質量・長さ・体積・エネルギー・温度・電荷
スカラー量は座標の取り方に関わらず一定ですが、ベクトル量は座標の取り方によって成分が変わることがあります。
例えば、$x$軸を右向き、$y$軸を上向きに取る場合の成分が$(1, 1)$である一方で、この座標をひっくり返せば$(-1, -1)$となり、座標軸の取り方によって成分が変わります。
ベクトル分解とは?
前置きが長くなりましたが、今回の本題であるベクトル分解に入りましょう。
ベクトル分解は、一本のベクトルを複数のベクトルに分解する手法です。
物理学においてベクトル分解が必要となる理由は、力や速度のような物理量がベクトル分解できると考えられているためです。ベクトル分解は平行四辺形の法則に従って行います。
平行四辺形の法則では、分解したいベクトルを平行四辺形の対角線とし、平行四辺形のそれぞれを一辺として新たなベクトルを生成します。
平行四辺形の法則に従い、ベクトルを平面上で分解するとこのようになります。
ベクトル分解の方法は一通りではなく、複数の方法があります。
ベクトル分解の方法が複数存在することは欠点ではなく、問題の状況に合わせて柔軟に分解できるため、大きな強みになります。
ベクトル分解は三次元でも適用できます。三次元でのベクトル分解は平行四辺形ではなく、平行六面体に沿って分解します。
平行四辺形の法則はベクトル分解だけでなく、ベクトル合成の際にも適用されます。
直交座標でのベクトル分解
デカルト座標(直交座標)と極座標でのベクトル分解を考えましょう。(→デカルト座標と極座標)
ここでは簡単のため二次元でのベクトル分解を考えます。まずはデカルト座標でのベクトル分解を見ていきましょう。
分解したいベクトルを$\vec{a}$として、その成分をデカルト座標で表現すると$(x_1, y_1)$となります。したがって、$\vec{a}$の大きさは$|\vec{a}| = \sqrt{x_1^2 + y_1^2}$ となります。
さて、ある座標系でのベクトル分解は、座標軸に沿って行うのが鉄則なので、デカルト座標でのベクトル分解は図のように、各座標軸に沿った(=長方形に沿った)ベクトル分解になります。
次に知りたいことは、分解したベクトルの大きさです。分解したベクトルの大きさが計算できなければ、次の段階の計算で何の役にも立たないので、これが計算できることが重要です。
分解したベクトルの大きさを計算するとき使われるのが三角関数です。
すなわち、$\vec{a}$と$x$軸との成す角を$\theta$(シータ)とすると、$|\vec{a}_x|, |\vec{a}_y|$は次のように計算できます。(→三角関数の基礎)
\begin{eqnarray}
|\vec{a}_x| &=& |\vec{a}|\cos \theta = \sqrt{x_1^2 + y_1^2}\cdot \cos \theta \EE
|\vec{a}_y| &=& |\vec{a}|\sin \theta = \sqrt{x_1^2 + y_1^2}\cdot \sin \theta \EE
\end{eqnarray}
極座標でのベクトル分解
次に極座標でのベクトル分解を考えましょう。
先程と同様に$\vec{a}$を分解します。極座標でのベクトル分解も、基本はデカルト座標での分解と同じです。
すなわち、動径方向と偏角方向にベクトルを分解します。図のような動径と偏角の配置のとき、$\vec{a}$は次のように分解できます。
\begin{eqnarray}
\vec{a} = \vec{a}_r + \vec{a}_{\theta}
\end{eqnarray}
このとき、分解したベクトルの大きさは、先程と同様に三角関数を用いて、
\begin{eqnarray}
|\vec{a}_r| &=& |\vec{a}|\cos \alpha \EE
|\vec{a}_{\theta}| &=& |\vec{a}|\sin \alpha \EE
\end{eqnarray}
と表せます。極座標でのベクトル分解は天体力学のような、回転運動の運動を解析する場合に便利になります。
ベクトル分解の具体例
具体的な問題を例にベクトル分解について見ていきましょう。
斜面の問題
デカルト座標を用いてベクトル分解を行う典型例は斜面の問題です。
斜面の問題について詳しく見ていきましょう。
斜面の問題において分解の対象になるのは、力のベクトル(≒重力)です。斜面の問題でベクトルの分解を考えるとき、デカルト座標の配置方法がポイントになります。
数学的には平行四辺形の法則に従っていれば、どんな風にベクトル分解を行っても良いのですが、物理学的には、運動方程式が立て易くなるようにベクトル分解を行うことがポイントになります。
今回は、斜面に沿った物体の運動を考えることが目的になるので、この方向に力が分解できるようにデカルト座標を設定することが大切になります。
すなわち、図のように斜面に沿った方向に $x$ 軸を設定し、斜面と垂直方向に $y$ 軸を設定します。
普段とは見慣れない配置でデカルト座標を設定しますが、このように設定することで運動の解析を楽に行うことができます。
振り子の問題
次に、極座標でのベクトル分解の具体例を見ていきましょう。
極座標を用いてベクトル分解を行う典型例は振り子の問題です。振り子の問題でも、重力を分解することを考えます。
振り子の運動を考えるときは、円周方向に沿った運動を考えたいので、偏角方向に沿ったベクトル分解が重要になります。
この制約の中で、ベクトル分解を行うと図のようになり、動径方向と偏角方向でベクトル分解が行える極座標が用いられるのです。
ベクトルの微分
ベクトルを分解するだけでは味気無いので、物理学のもう一つの柱である微分積分との関連も見ておきましょう。
ベクトル分解と単位ベクトル
ベクトルの微分の話に入る前に、ベクトルの表し方を工夫します。
表現方法の工夫とは、単位ベクトルを用いることです。単位ベクトルを用いることで、ベクトルの大きさと向きを分離して分かり易く表すことができます。このことについて具体的に見ていきましょう。
まず、単位ベクトルとは、『大きさが$1$のベクトル』のことです。
単位ベクトル:大きさが $1$ のベクトル
例えば$\vec{e}$が単位ベクトルであるとすると、$|\vec{e}|=1$となります。
次に、大きさが$A$の\vec{a}$を用意します。
単位ベクトルは大きさが$1$のベクトルであるため、$\vec{e}$を$A$倍すれば$\vec{a}$と一致するので、以下の式が成立します。
\begin{eqnarray}
\vec{a} = A\vec{e}
\end{eqnarray}
このように、単位ベクトル使うことでベクトルを大きさと向きに分離できます。
これをベクトル分解にも当てはめると、その有用性がはっきりと分かってきます。たとえば、三次元のデカルト座標で、一つのベクトルを$x,y,z$軸方向に分解することを考えます。
すなわち、ベクトル$\vec{a}$は、
\begin{eqnarray}
\vec{a} = \vec{a_x} + \vec{a_y} + \vec{a_z}
\end{eqnarray}
と分解できます。
$\vec{a}$の成分を$(a_x, a_y, a_z)$とし、各軸に対応する単位ベクトルを$\vec{i}, \vec{j}, \vec{k}$とすると、次のようになります。
\begin{eqnarray}
\vec{a} = a_x\vec{i} + a_y\vec{j} + a_z\vec{k}
\end{eqnarray}
このように、成分(≒座標)と方向を独立で表現できるため視認性が格段に良くなります。
ちなみに、物理学では$i,j,k,e$のアルファベットを使って単位ベクトルを表すことが一般的です。
ベクトルの微分
単位ベクトルを使ってわざわざ書き直した理由は、ベクトルの微分積分を導入するためです。
力や速度、加速度はベクトルであるため、大きさだけでなく向きも時々刻々と変化します。
微分積分によって大きさの時間変化を計算することは受け入れ易いでしょう。しかし、向きの微分積分についてイメージすることは困難です。
そのため、大きさと向きの要素を持つベクトルに対して微分積分を行おうとしても困ってしまいます。このときに、単位ベクトルによる表記が活躍します。
単位ベクトルを使うことで、大きさと向きを分離できるため、微分積分の操作についての見通しが良くなります。
つまり、ベクトルの微分を『ベクトルの成分に対する微分』と定義します。このように定義することで、向きの情報を損なうことなく、ベクトルを微分できるようになるのです。
たとえば、$\vec{F}(t)$が$F(t)\vec{e}$と、大きさと単位ベクトルで表すと、ベクトルの微分は次のようになります。
\begin{eqnarray}
\ff{\diff \vec{F}(t)}{\diff t} = \ff{\diff F(t)}{\diff t}\vec{e} \\
\,
\end{eqnarray}
詳しいベクトルの表記や微分については、微分とベクトルの記法で紹介しています。