等重率の原理を力学的にさらに一歩踏み込んだ表現に直したエルゴート仮説について説明します。
エルゴート仮説を簡単に説明すると、ある系における絶対温度やエントロピー、ヘルムホルツの自由エネルギーなどの長時間に渡る平均値、つまり観測値が、位相空間内に存在する母集団に対する位相平均(=期待値)と一致するということを言っています。
これだけでは、まだ分からないでしょうから、具体的な説明を行っていきます。
位相平均・アンサンブル平均とは?
まず、等重率の原理について考えた際、位相空間上に微視的状態を代表点としてプロットできることを説明しました。
この代表点は時間経過とともにトラジェクトリーと呼ばれる軌跡を描きます。トラジェクトリーの代表例として振り子のトラジェクトリーが有りますが、これについてはこちらで解説しています。
同じように気体分子の運動を表す代表点も位相空間上でトラジェクトリーを描き、下図のように表せます。
ただし、代表点の正確なトラジェクトリーは分からないため、特定の時刻での代表点の位置を計算するのは困難です。しかし、代表点がどこにあるのかは確率論を用いて議論することができます。
そして、超曲面上で代表点が最も見つけ易い(=期待値)位置のことを位相平均あるいはアンサンブル平均と呼ぶことにします。なお、代表点の位置を確率的に表現できることは別の機会に説明します。
エルゴート性とは?
上で説明したように、代表点は超曲面の上を移動していきます。常識的には十分長い時間が経過するとトラジェクトリーは超曲面を埋めていくだろうことが想像できます。
しかし、考えうる全ての超曲面に対して、トラジェクトリーが面を埋め尽くすことの証明はかなり難しいという問題があります。
とは言え、直感的には十分な時間が経過したならばトラジェクトリーが面を埋め尽くす、すなわち代表点は超曲面の全ての点を通ることを仮定しても問題は無さそうです。
統計力学では、『十分長い時間経過すると、与えられた範囲全てを代表点が巡ること』をエルゴート性と呼びます。
エルゴート性の考え方を深めると、エルゴート仮説というものが自然と現れてきます。
※ 厳密には、大きさの無い点では超曲面を埋め尽くすことができません。そこで、代表点はある程度の広がりを持っていると考えます。今回は、代表点が $3$ 次元的な広がりを持っているとして、議論を進めていきます。
代表点のトラジェクトリーとリウヴィルの定理
前述のような事情があるため、代表点はある程度の広がりを持っていると考えます。これは、測定誤差の範囲で巨視的な状態(温度・体積・圧力など)に幅がある様子と思えば理解しやすいでしょうか。
さて、巨視的状態は系の持つエネルギーの大きさと言い換えることができます。ここで、エネルギーの誤差範囲が $\diff U$ であったとしましょう。すると、各微視的状態に対応した代表点の広がりは $U$ から $U+\diff U$ までのある程度の”厚み”を持った超立体の範囲となることが言えます。
時間経過に伴い、超立体は位相空間を移動していきます。このとき問題となるのは、各時刻における超立体の”体積”の変化です。
もし、”体積”が変化するのなら、位相平均を計算する際に問題が生じるため、超立体の体積が時間変化しないことを示す必要があります。
具体的には、時刻 $t$ での微小な超立体の体積を $\diff v(t)$ として、$\diff v(t_1) = \diff v(t_2)$ となることを証明しなければなりません。
この証明については幸運なことに、リウヴィルの定理の結果が使えます。詳細は割愛しますが、リウヴィルの定理より $\diff v(t_1) = \diff v(t_2)$ が言えます。これより、微小な超立体の体積は時間変化しないと言えます。
エルゴート仮説とは?
リウヴィルの定理から微小な超立体の体積は時間変化しないことが分かりました。この微小な超立体がどう動いていくのかが次の疑問となります。
この疑問については、次のようにエルゴート性とリウヴィルの定理から解決されます。
- 十分長い時間が経過すれば、与えられた範囲全てを巡る
- 超曲面上のある領域に滞在する時間は、その領域の相対的な大きさに比例して増加する。
最初の項目については十分な時間をかければ、代表点に対応する微小な超立体は与えられた範囲全てを埋め尽くすことを主張します。つまり、エルゴート性を仮定しています。
二つ目の項目は、同じ大きさの領域であれば、超立体は同じ時間で通過することを主張しています。この背景には前述のリウヴィルの定理があります。
やや遠回りな表現になっていますが、これらの主張より、位相空間で代表点が見いだされる可能性が最も高い位置(=期待値)と現実の測定での時間平均(=観測値)が一致することが導かれます。
この理論をエルゴート仮説と呼び、次のように言い換えられます。
エルゴート仮説から位相空間で計算した結果を、現実の観測値と結び付けることが正当化されます。