統計力学の重要概念であるカノニカルアンサンブル($\RM{canonical\,ensemble}$, 正準集団)と分配関数について解説します。
※カノニカル($\RM{canonical}$)は『正準の』あるいは『標準的な』という意味の英単語です。また、アンサンブル($\RM{ensemble}$)は合唱、重奏を基本的には意味しますが、統計力学では『集団』と訳されます。したがって、カノニカルアンサンブルは『正準集団』と和訳されます。
統計力学の視点からは、カノニカルアンサンブルが従うエネルギーの分配確率が重要になります。
カノニカルアンサンブルが従う分配確率は、カノニカル分布と呼ばれ、具体的には次のように表されます。
今回は、カノニカルアンサンブルという概念を導入し、これからカノニカル分布と分配関数に到達するまでの過程を解説します。
カノニカルアンサンブルとは?
始めにカノニカルアンサンブルの舞台設定について説明します。
カノニカルアンサンブルは、断熱壁に囲まれた大きな空間を埋め尽くすより小さな $M$ 個の部分系の集団のことを示します。
なお、これらの部分系は体積 $V$ で $N$ の分子を含んでいるとします。また、部分系の接触部でエネルギーの授受が行われますが、分子が境界を越えることは無いとします。(要するに部分系は閉じた系と考えます)
カノニカルアンサンブルの様子を表したのが下の模式図になります。
このとき、$M$ 個の部分系には $E_1,E_2,\cdots,E_j$ のいずれかのエネルギーが分配されていると仮定します。そして、各エネルギー状態にある部分系の個数を $m_1,m_2,\cdots,m_j$ と置きます。
つまり、カノニカルアンサンブルを考えるにあたって次のような条件を課します。(容器全体のエネルギーは $E_T$ であるとします)
$$
\left\{
\begin{eqnarray}
M&=&m_1+m_2+\cdots+m_j\EE
E_T&=&m_1E_1+m_2E_2+\cdots+m_jE_j
\end{eqnarray}
\right.\tag{1}
$$
ところで、エルゴート仮説やギブスの定理での議論に基づいて考えると、カノニカルアンサンブルで観測される系の状態では、微視的状態数が最大となっているはずです。
要するに、微視的状態数が最大となるよう部分系にエネルギーが分配された状態が、観測される状態であるということです。
そこで、微視的状態数が最大となるエネルギーの分配方法を求めることを目指していきましょう。
縮退度とは?
微視的状態数が最大となるエネルギーの分配方法を求める準備として、縮退度という概念を導入します。
今まで何度か説明してきたように、内部エネルギーが同じであってもそれに対応する微視的状態は複数考えられます。
仮に、対応する微視的状態が $w$ 個あるとします。これを、統計力学では『エネルギー状態 $E$ での縮退度は $w$ である』と表現します。
縮退度を導入すると、カノニカルアンサンブルにおける微視的状態数が計算できます。例えば、エネルギー状態が $E_1$ で、その縮退度が $w_1$ であったとします。このとき、部分系は $m_1$ 個あるため、合計の微視的状態数 $W_1$ を次のように求められます。
\begin{split}
W_1&={}_MC_{m_1}w_1^{m_1}\EE
&=\ff{M!}{m_1!(M-m_1)!}w_1^{m_1}
\end{split}
$W_1$ 係数として二項係数が付いている理由は、$M$ 個の部分系の中から $m_1$ 個の系を選び、これに $w_1$ 個の微視的状態を割り当てる状況に相当するためです。
同様にして、$W_2$ を次のように求められます。
\begin{split}
W_2&=\ff{(M-m_1)!}{m_2!(M-m_1-m_2)!}w_2^{m_2}
\end{split}
したがって、一般の $W_i$ については、
\begin{split}
W_i&=\ff{(M-m_1-\cdots-m_{i-1})!}{m_i!(M-m_1-\cdots-m_i)!}w_i^{m_i}
\end{split}
と表すことができます。以上の結果を用いると、カノニカルアンサンブル全体の微視的状態数 $W_T$ が求められます。
\begin{split}
W_T&=\prod_{i=1}^jW_i \EE
&=\ff{M!\,w_1^{m_1}}{m_1!(M-m_1)!}\cdot\ff{(M-m_1)!\,w_2^{m_2}}{m_2!(M-m_1-m_2)!}\dots\ff{(M-m_1-\cdots-m_{i-1})!\,w_i^{m_i}}{m_i!(M-m_1-\cdots-m_i)!}\cdots\EE
&=\ff{M!}{m_1!m_2!\cdots m_j!}w_1^{m_1}w_2^{m_2}\cdots w_j^{m_j}\EE
&=\ff{M!\prod_{i=1}^jw_i^{m_i}}{\prod_{i=1}^jm_i!}
\end{split}
カノニカルアンサンブルとラグランジュの未定乗数法
前述のように、微視的状態数 $W_T$ が最大値を取るエネルギー分配の状態は、カノニカルアンサンブルを実際に観測したときの状態と一致するはずです。そのため、$W_T$ の最大値は重要な意味を持ちます。
とはいえ、上の式のままでは $W_T$ の最大値を計算しずらいため、代わりに $\log W_T$ の最大値を求めることにします。これは次のようにできます。
\begin{split}
\log W_T&=\log\left(\ff{M!\prod_{i=1}^jw_i^{m_i}}{\prod_{i=1}^jm_i!}\right)\EE
&=\log M!+\log\left( \prod_{i=1}^jw_i^{m_i} \right)-\log\left( \prod_{i=1}^jm_i! \right) \EE
&=\log M!+\sum_{i=1}^j m_i\log w_i-\sum_{i=1}^j \log m_i!
\end{split}
ところで、$m_i$ は十分に大きいため、$m_i!$ をスターリングの公式を用いて、
\begin{split}
m_i!\sim \sqrt{2\pi m_i}\,m_i^{m_i}e^{-m_i}\NEQ m_i^{m_i}e^{-m_i}
\end{split}
と近似できます。これを使うと、$\log m_i!\NEQ m_i\log m_i-m_i$ とできます。
この結果を上式に適用すると、
\begin{eqnarray}
\log W_T&\NEQ& (M\log M-M)+\sum_{i=1}^j m_i\log w_i-\sum_{i=1}^j(m_i\log m_i-m_i)\\
&=&M\log M+\sum_{i=1}^j m_i\log w_i-\sum_{i=1}^jm_i\log m_i \\
&=&\sum_{i=1}^j m_i(\log M-\log m_i+\log w_i)\tag{2}
\end{eqnarray}
が得られます。目標は $\log W_T$ の最大値を求めることですが、問題は最大となるときの $m_i$ の組み合わせについて手掛かりが無いことです。そこで、視点を変えることにします。
すなわち、『関数 $\log W_T$ を式$(1)$の制約条件の元で最大とする問題』と見なすのです。このように考えるとラグランジュの未定乗数法を利用することを思いつきます。
ラグランジュの未定乗数法の解法の定石に従い、次のように表される関数 $L$ を導入します。ただし、$\A,\beta$ を定数とします。
\begin{split}
L&=\log W_T-\A\left(M-\sum_{i=1}^jm_i \right)-\beta\left(E_T-\sum_{i=1}^jm_iE_i \right)
\end{split}
さて、$\log W_T$ が最大となるとき、$m_i$ は $\DL{\ff{\del L}{\del m_i}=0}$ の条件を満たします。($m_i$ は巨大な数値のため、少々の変化ならば無視できると考えられます。そのため、$m_i$ を連続変数と見なすことができます)
これを計算すると、
\begin{split}
\ff{\del L}{\del m_i}&=\{(\log M-\log m_i+\log w_i)+1\}-\A+\beta E_i\EE
&=\log\ff{Mw_i}{m_i}-(\A-1)+\beta E_i=0
\end{split}
となります。この条件は全ての $i$ に対して成立するので、次の恒等式が得られます。
\begin{eqnarray}
\sum_{i=1}^j\left\{\log\ff{Mw_i}{m_i}-(\A-1)+\beta E_i\right\}=0\tag{3}
\end{eqnarray}
これが $W_T$ が最大値を取る条件となります。
カノニカル分布と分配関数
$W_T$ が最大となるとき、つまり観測される状態では、式$(3)$が恒等的に満たされているはずです。したがって、
\begin{split}
\log\ff{Mw_i}{m_i}-(\A-1)+\beta E_i=0
\end{split}
でなければならず、改めて $a=\A-1,b=-\beta$ として整理すると、
\begin{split}
\ff{m_i}{M}=P_i=w_i\,e^{-a-bE_i}
\end{split}
となります。左辺の分数は $E_i$ のエネルギー状態が実現される確率 $P_i$ と見ることもできます。
それでは、係数 $a,b$ を求めていきましょう。まず、$a$ については、$m_i=Mw_i\,e^{-a-bE_i}$ となることを利用します。これを式$(1)$に代入すると、
\begin{split}
M&=\sum_{i=1}^jm_i=\sum_{i=1}^jMw_i\,e^{-a-bE_i}\\
&=Me^{-a}\sum_{i=1}^jw_i\,e^{-bE_i}\\
\therefore\,e^a&=\sum_{i=1}^jw_i\,e^{-bE_i}
\end{split}
となります。なお、右辺の $\DL{\sum_{i=1}^jw_i\,e^{-bE_i}}$ は分配関数または状態和と呼ばれる重要な定数です。基本的には $Z$ の記号が割り当てられます。
次に $b$ を求めます。これを求めるに当たり、ボルツマンの原理を用います。すなわち、カノニカルアンサンブル全体のエントロピーを $S_T$ とし、ボルツマン定数を $k_B$ として、次の関係があり、
\begin{split}
S_T&=k_B\log W_T
\end{split}
これに $W_T$ の表式を適用すると、
\begin{split}
S_T&=k_B \left(M\log M+\sum_{i=1}^j m_i\log w_i-\sum_{i=1}^jm_i\log m_i\right)
\end{split}
さらに、右辺第三項に $m_i=Mw_i\,e^{-a-bE_i}$ を入れると、
\begin{split}
S_T&=k_B \left\{ M\log M+\sum_{i=1}^j m_i\log w_i-\sum_{i=1}^jm_i(\log M+\log w_i-a-bE_i)\right\}\\
&=k_B\left(a\sum_{i=1}^jm_i+b\sum_{i=1}^jm_iE_i \right)\EE
&=k_B(aM+bE_T)
\end{split}
が得られます。
この結果に $\DL{\ff{\diff S_T}{\diff E_T}=\ff{1}{T}}$ の関係を適用すると、$b=\DL{\ff{1}{k_BT}}$ が得られます。以上をまとめると部分系のエネルギーが $E_i$ となる分配確率 $P_i$ を次のように表せます。
\begin{split}
P_i=\ff{w_i\,e^{-\ff{E_i}{k_BT}}}{\DL{\sum_{i=1}^jw_i\,e^{-\ff{E_i}{k_B\,T}} }}=\ff{w_i\,e^{-\ff{E_i}{k_BT}}}{Z}
\end{split}
このように、部分系へのエネルギーの分配確率のことをカノニカル分布と呼びます。